博覧記U・・・ボローニャ

2009年3月2日〜10日


世界で唯一の乳幼児フェスティバルへ

 飛行機をフランクフルト空港で乗り換え、スイスとオーストリアの国境を截ち切るように南下すること2時間。眼下には、まだ雪の残るアルプスの山々がすぐそこという絶景を過ぎると、イタリアは長靴半島と呼ばれる太ももの真ん中辺りの山間部ボローニャへ。3月の東京は春の訪れを味わいながら離れた成田から、ひと月ほど時計の針を巻き戻した感の曇天のボローニャ空港に着いたのが夕方の6時頃。黄昏の空港を降りてブルッと感じた肌寒さは未見の地と乳幼児フェスへの期待感からか、出発前敬愛する井上ひさし氏が憧れの地と記した「ボローニャ紀行」を立ち読みしたからなのか、それともただの風邪かしらん



こどもが主役

 初日の観劇は朝10時から地元の「バラッカ劇団」の作品。期待に胸ふくらませて会場に入るも開演を10分過ぎても開場とはならない。5〜60人の客達はイライラするでもなく会話を楽しんでおり、「イタリア人ってルーズ?」と思っていると、ドア近くから安堵の声が上がる。来た来た、雨の為バスが遅れた保育園児たち30人程が5〜6人の先生を引き連れてドア前に立ち止まると、開場を待っていた大人たちが真っ二つに分かれ、まるで割れた海を渡るモーゼのように堂々とちっちゃな手をつなぎながら歩いて来る。そして見守る大人たちに「ボンジョールノ」と微笑みながらのご挨拶をして通り過ぎると、やっと開演となりました。どこの国でも(外国は)こどもは王様なのだ。



国際的にも注目される

 このボローニャの乳幼児フェスは今年で3回目。公演を終えて出てくる観客の顔ぶれを見ると知った顔が多い。デンマークでお世話になったピーター氏、日本での講演で会ったドイツのヴォルフガング氏、微笑んで握手の手を差し出してくれたのはオーストラリアのトニー・マック氏。いずれも世界アシテジの会長や事務局経験者だ。歴史が浅いながらも世界で唯一のこの「乳幼児フェス」を国際児童青少年演劇の要人たちがしっかり見守っており、注目されるフェスティバルだという事が一見さんの私達にも理解出来る。
 今フェスは3月の2日から9日間。出品は公演が53演目、うち10作品が3歳以下、14作品が3〜6歳とあり、全体で32作品が託児・保育所、21作品がファミリー向けで教師向けワークショップ14、シンポジュウム10という構成。そして10のイタリアの劇団と9のヨーロッパからの劇団が参加・招待されている。連日、公演を終えた俳優・演出家達が夕方から先生対象のワークショップやシンポジュウム、ゲスト対象のフォーラムといったプログラムをこなし、時には22:00〜のシンポジュウムや作品合評も組まれており予想にたがわぬ活況を呈していた。
 作品の大方は舞台劇で人形や舞踏といったパフォーマンスは少なく、印象的な作品では40代〜50代の俳優達の存在感が大きい。
 このフェスティバルの始まりは、今開催のホスト劇団である地元の「バラッカ劇団」が主体をなしている。
 1986年、人形劇団だったバラッカ劇団が80年代に舞台劇に転身した後、ボローニャ市教育関係者よりオファーがあり0〜3歳の保育所観劇の出前公演を展開した。当初5園から始まったものが96年までの10年間に47園と増加し、以後「3月保育」という劇場観劇型に切り替わりこれがフェスティバルの原型となり今のかたちへと発展する。つまり創り手の「創造論」「運動論」からというより行政の「福祉的」ニーズから発生したという事。
 保育所観劇はフェスティバルの間は勿論、47の園が複数回観るので一年中稼動しており、中・小3つの劇場とアトリエを持つ Teatro TESTONI はバラッカ劇団(座員推定30名程?)が管理運営し、このフェスの資金源は市と、地元企業、EUからの後援や助成でまかなっているが国からの支援はない。





ボローニャという街

 ところで、ボローニャ市はヨーロッパの中でも歴史的にも思想的にも大変尊敬されている都市だという。「30年来の恋する街」という作家井上ひさし氏の見聞を借りれば、ヨーロッパで最も古い大学が「ボローニャ大学」(創立1088年)で、その卒業者名簿には詩人ダンテやコペルニクス、ガリレオらが同窓生として名を連ねており、さらに大司教トーマス・ベケット、桂冠詩人ペトラルカ、宗教改革運動のエラスムスといった偉人を輩出しているけどよく分からないので割愛します。知ったところではミケランジェロが19歳の時に、モーツァルトが14歳の時に、ゲーテが37歳の時にこの地を訪れ歴史的な作品を残しておりノーベル文学賞ダリオ・フォー(1926年〜)も知らないけれどこの街とは関わりが深い。
 歴史的な史実としては、第二次大戦中のレジスタンス活動が挙げられる。
 大戦末期の1年間、ナチスドイツ軍、ファシスト黒シャツ旅団の連合勢力に対し、ボローニャ市民がデモ、ストライキそしてパルチザン(遊撃兵)として参加し、戦いの末市民の力で連合勢力を追い出し自力で街を解放した。この時レジスタンスに参加した市民は17,210名、うち2,064名が戦死している。こうした独立精神は今日まで連綿と受け継がれ、もう一つの精神「ボローニャ方式」というかたちで人づくり、街づくりが展開されている。







「ボローニャ方式」

 人口9万人ほどのこの街のひと達は「住む人」と「文化」を大事にするということを念頭に、何か市民にとって「必要な事」と考えるとすぐ仲間を集め組合会社をつくり、それが「社会的協同組合」として発展し様々な事業を展開していくというシステムがある。仕事として人に、街に貢献していくことを「ボローニャ方式」と呼んでいる。
 例えば20年ほど前、街にホームレスの姿が目につくようになると学生たちが市民に伝えようと新聞を出す企画書を市役所に提出、するとそれに呼応するように市も予算を付ける事となりこれが社会的協同組合として発展してくる。そして使わなくなった公共の土地建物を無償で借り入れたり、銀行・企業・財団からの資金援助を仰いだりしながら、公営バスの巨大な車庫がホームレスたちの更生施設となったり、また貴族の館は保健所・保育所・集会所や劇場に、女子修道院はヨーロッパ一の女性図書館に、王立タバコ工場は世界一の映像貯蔵センターに、証券取引所は児童・一般図書館、家畜市場は1400名を擁す老人クラブと学生寮や保育所・コンサートホール・図書館などの複合施設へ、郊外の農地を障害者農園として生産・直販・レストラン経営(これは有償)といった具合に。





そして
「演劇の役割」も無縁ではない。

 1980年代ヨーロッパ統合の議論がされていた頃、フランスの文化大臣がイタリアの名演出家ジョルジョ・ストレーレルをパリのヨーロッパ劇場の芸術監督に任命した。当時大きな話題となったそうで、その起用の理由は「政治や行政はまだヨーロッパの統一像を見出せないが、演劇においてはその統合が実現されつつある。演劇によってヨーロッパの未来像を示して欲しい」というものだった。
 日本においての演劇の社会的理解や認知度では考えられない現象だが、ボローニャ人も<演劇には見えないものを見えるものに変える力と役割がある>として「ボローニャ精神とは一体何か、演劇によって表明しよう」という事となり、ボ大助教授ウンベルト・エーコ指揮によりローマよりダリオ・フォー(前出)を招き彼が、中世からボローニャ人に愛されていたドットーレ・ボロネーゼというボ大の先生で、偉そうな理屈屋だが実は俗物という人物に扮し、ドタバタの笑劇を何百本(15分もの)も演じ、中央政府をこき下ろしながら「国に任せておいては何が起こるかわからない。だから今生きている場所を大事にしよう。その場所さえしっかりしていれば、ひとはしあわせに生きていくことができる」というメッセージを込め、この舞台が国営放送により全国中継となり見事ボローニャ精神を広める事に成功したそうだ。
 そして劇団に関しては協同組合の形をとった劇団がたくさんあり、一般の協同組合とは異なった助成金が提供されており、芸術文化を単なる「私的財」ではなく「準公共財」として市民に受け入れられているという事(佐々木雅幸「創造都市への挑戦」岩波書店)で、この助成金(年間費用の40%)にも市民の心意気が表れているようだ。ヨーロッパ共同体が「ヨーロッパ文化都市」に指定しているというのもむべなるかなである。
 以上、井上氏の長い受け売りでしたが、ファッションやパスタ、精密機器、古本市、観光etc、ではないボローニャ人の考え方を垣間見て、この地で世界で唯一の「乳幼児フェス」が立ち上がった背景というものがおぼろげながら見えたような気がします。ちなみに井上ひさし氏「ボローニャ紀行」(文藝春秋刊)は、街への愛情とユーモア溢れる筆致と、造詣深く真摯な姿勢の氏を崇拝する者としてこの本を現代日本人への啓発の書として一読をお薦めします。
 閑話休題。今回のスケジュールは4日間で16作品の鑑賞。バラッカ劇団の作品は小会場5本と中会場のものとで6本観た。





鑑賞と体験

 このフェスは対象が「0歳〜6歳」からと銘打っているのが特色なので、0歳に向けた表現がどんなものなのか大変興味深いものがあったが、実際には1〜4歳あるいは2〜4歳というパンフ表記で、0歳からの作品にはお目にかかれなかった。小会場作品については各国の劇団共通して、こどもたちに鑑賞後舞台で使った小道具や人形、大道具やバックステージの体験学習が必ずされていたということが特長的でした。バラッカ劇団の作品についても舞台が木、竹、石、水、羽、風、月といった自然の不思議、対話や共生といったテーマの作品が多かったが終演後出演者が小道具の石や羽を持って客席に入り、こども達の頬に触れたり、さわらせたり、舞台に上げて大道具や小道具を触らせたり。そしてそのまま別室へ誘導して、そうした道具や物語にまつわる話をしながら実物の小道具や関連したモノで遊ばせるというシステムが定着していた。
 乳幼児期において実際に触る、嗅ぐ、聞く、感じるといった体験が、芸術鑑賞後のこどもの脳、心の中でいかに結びついていくか。
 「言語体験と行動体験が言語回路として前頭葉に収納され、記憶と感性として人格形成に蓄積されることが分かってきました。」(児童精神科医・丸山信之氏)というように、芸術体験と行動体験の有機的な結びつきが、こどもの成長に重要なことという裏付けがこうして検証されている。
 そして終演するや流れる汗を拭う間もなく石や羽を手にしながら、不公平があってはいけないのでこども達全員を2度3度回り、舞台から別室に誘導していく姿は海外の児童演劇の俳優は「尊敬されている」ということを痛感する場面だった。
 気になった点が無い訳ではなかった。
 引率の先生たちが、観劇中のこどもたちが舞台に反応して合いの手を入れたり、返事をしたりすると「シッ!」(イタリア語でも「シ」)と制止したり、こどもが少しでも移動すると引き戻されたりと何故か厳しい保育姿勢に少々違和感を感じさせる。
 作品についてもバラッカ劇団の小会場作品で、若手を起用したものに窮屈さを感じるものも幾つかあった。若手の演技に伸び伸びさが感じられないせいか、自然をテーマにしたものが温かみや共存感を伝えようとするより、歴史や特性を「教える」「学ぶ」というモードを感じ「理屈っぽい」という印象を持つ。これは単に若手の演技力の問題なのか、演出が観念的なのかと余計な思いをめぐらしてしまい早い話が高尚だけど楽しめない。こうした作品については業界(参加劇団)や教育機関の間でも意見が二分していると後にフェスティバルの関係者も語っていた。
 でもそんな些細な事は佳い作品に出会えるとすぐ忘れてしまうのだ。




ドイツの逸品

招待作品 「WOODBEAT」  1〜4歳        HELIOS Theater

 直径5〜6mくらいの六角形のステージに、3〜4p程の木片がいっぱいに敷き詰められ、薪くらいの木っ端が数本と、大きな蛇の頭ような木も横たわっている。




 

 演者がステージのセンターに立ち奏者はその外で楽器を奏でる二人芝居。森のイメージを伝えているのか、木遊びをして奏でる音楽を味わいながら語っている。と突然天井を支点にした糸を引くと地面から14〜5cmくらいの蓑虫が飛び出す。
 単純な仕掛けなのにすっごく新鮮に驚ける。ピョンピョン跳ね回るだけで、何だかとっても楽しくなり、色々な木々と関わって遊んだり怒られたりしている様子が微笑ましい。



 中盤を過ぎると今度は薪割りだ。薪を持ってステージの隅に行くと、やおらズッシリと重い「斧」を持ち出す。ギラリと光るその斧は「さすがドイツ製」とこどもが思ったかどうかわからないが、会場はシーンとした緊張感につつまれる。そしてバキッバキッと数本割ると斧はこどもの目につかない所に隠される。そして今度は割られた木たちが組み合わさって「ひと」のかたちとなって遊びながら行列を作る。



 物語りはここまで、といっても特別なストーリーがあるとは思えないけど、ここは確かに森の中で、様々な生きものたちが暮らしていて何だか楽しく遊んでいる。
 そして今度はスコップの登場だ。
 角スコップの幅で地面を掻いて行くと道が出来る。立に横に斜めに、何本も何本も。そして観客席のこどもたちの目の前に道を開けこの森の世界に招き入れる。導かれたこども達はそお〜っと歩きながら木々や蓑虫を触ったり、遊んだり、木片を天高く撒き散らしたり・・・。



 森、生きもの、風、空、音、斧、道、遊ぶ、仲良し、けんか、好奇心、恐怖心・・・沢山のサプライズを堪能したのはこどもだけではない。忘れていた自分だけの「心の原風景」を思い出したような、見つけたような気がする。
 30分ほどの時間の中で、このモノトーンの世界を観客みんなが生きものの一人づつとして、この森に溶け合っていくような、不思議な一体感に満ち溢れた何とも甘美な森のひととき。


2009年6月   ちどり